新おじさん新聞/あの頃このごろ

「おじいさん新聞」のほうがそぐうのですが、一世風靡した週宝の人気ページ「おじさん新聞」の記者でありましたので習って「新おじさん新聞」。昭和少年の「あの頃」ベテランのおじさんになっての「このごろ」          http://blog.livedoor.jp/donsampo-muti/(閑話九題)http://blog.livedoor.jp/donsampo-bnumber/(東京横町路地さんぽ)http://blog.livedoor.jp/donsampo-mrloogan/archives/cat_226034.html(かく&つくる)

昭和

三滝山のドンガラがッちゃん

御馴染みの長野の小渓に遊びに行った 集落外れの里川から ふと坂道に乗り込む 着いたそこは整備された広場で水場もトイレもあり野営に申し分もない適地である 早速大木のそばに幕営 昼下がりであるが情事でなくビールをシュポン 老若男女が何人かやって来てボクの車は大きなワゴン車で冗談に「いらっしゃい」なんて幟を掲げていたもんだから「何を売ってるの?」なんて言われて...
しばし 坊さんがやって来た ま、御茶でも..酒かな? この地は聖地で上流に「三滝」があるという キャンプの許可も頂いた よろしよろしと喜んでくれた (この後何年か酒一本提げて世話になる)
斜面横のトイレの横に小さな流れがあり仲間がイワナを釣った ボクがトイレに入ったら石を投げられ「ドンガラがッちゃん」びっくりだよ しばし後 そいつがトイレに入ったとき石を投げたら「ふふふ」と外で用を足してた
あの日航機事故の裏山で夜たくさんの灯を見た

ふきんと漁業組合秋田遠征2日目

思えば あちゃこちゃ野営遍歴 /ふきんと漁業組合秋田遠征2日目


かんすろけんnote
2020/10/13 04:36
「ふきのとう」をマスターは「ふきんと」と言う

寒かったろう寂しかったろう



夜明け近くまでのパーティだったが早起きさんによりとても早朝に食事の用意ができていた 「あなた朝食の用意ができてるわよ」と声をかけるのは男性メンバーのコグマ 「あらま早いわねぇ〜」と姉御も起きて来る 「いつまで寝てんのよ」と総員起床だ 

おや一人足りない マスターが居ない もしや熊にでもこれは事件ですよ 探すがみつからない しばし 併設したテントの隙間にテンガロンハットをかぶったままの遭難者発見 グランドシートを敷くタイプの底抜けだから転がり出た模様 顔に白く霜が積もっているが縮こまって安らかにイビキをかいて眠っている 寒かったろう寂しかったろう...抱きしめてはやらない

全メンバーで朝食宴会をしていると村のトラックがやって来た 荷台に檻があり黒い獣、小熊(子熊ではない ちと大型の犬サイズ)が出してくれ〜と叫んでいる 村の衆が「今朝入ってたど」残りリンゴを食べに出没してたらしい 

まずは乾杯(またかい)現金なものでさっそく全員がそれぞれ竿を持ち散る ぼくは細流を出合いまで下る(釣りに熱心なので)いつものように小1時間で納竿「オゾンがいっぱい」などとほざきながらフレッシュエアを楽しむ 朝日がまぶしい 紅葉が始まっており山葡萄などもちらほらデザートにと少し持ち帰る 我が家方向に焚火の煙がたなびいている 




ふきんと秋田遠征/1日目 午後

思えばあちゃこちゃ野営遍歴/ふきんと秋田遠征/1日目 午後



かんすろけん NOTE
2020/10/12 12:34

ふきんと秋田遠征/1日目 午後

渓から速やかに離れテン場に向かう 逃げたのでは...勇気ある撤退と言いたまえ 
土手道を行く車窓から我が家の焚火の煙がたなびいているのが見えた 

車を降りるとメンバーが飲物片手にやってくる 「よ、どうしたい?」クラさんが「とんでもねえがクマったよ」彼は落語好きで別名師匠である(以前すぐ近くの林道で転落事故があったばかりの夜中に山小屋で「お化け長屋」をやりやがって皆トイレに行けなくなり小屋の2階から用をたしたことがある)

留守宴会中の幹事が言うことにゃ「さっき爺さんが漬け物など差し入れに来て軽く飲み、先週からクマが出るんだよと話して帰った」と...

はやく言ってよぉ 

夕まずめは諦めて宴会に突入だい 飲物はお前は酒屋かい?と言いたくなるくらい仕入れてきたが酒豪ぞろい調理人ぞろいで盛り上がったこと 山奥だから空も焦げよの盛大な焚火はもちろんのこと(店主は長野で地元製材所で木っ端をトラック荷台いっぱいを貰いうれしそうに一晩で燃し切った炎フェチ ミナミオオヤはイジクリ消す名人)

阿呆話に花咲き実をつけ時々うんちく あの方達2人は既にまるで寝るように死んでいる

クマ騒ぎの腰つき大役内川遠征

思えばあちゃこちゃ野営遍歴ふきんと漁業組合/クマ騒ぎの腰つき大役内川遠征


かんすろけん
2020/10/11 02:23

ふきんと漁業組合/クマ騒ぎの腰つき大役内川遠征

(第1日目)夜の学園公園に集合したのは7人の漁協員 師匠のマツダ8人乗り1BOX車の後部座席をフラットにしたお座敷に乗り込んで秋田を目指す 「さぁ行くぞぉ出発」というフェイバーさんの掛け声を合図に缶ビールのプルトップに指をかけるメンバーが居る 「車を揺らすなよぉ」という謎の掛け声 ユラッ しゅぱっ 「あらら揺らしたねぇ フタが開いちゃったじゃなーい」ので仕方なくグビッだってさ 

ドライバーは酒を飲まない小林少年である よく働く好青年なのだ 感謝してます 後でおいしいコーヒーを淹れてあげるからね 彼はコーヒー通なのです 都内を抜け東北道に乗り白々と明け始めた宮城古川で高速道を下り峠で珍茸など買い込み秋の宮温泉をかすめてンダンダ爺さんの集落に着いたらすっかり朝~っ 

本流が役内川で支流が大役内川だ ドンキーカルテットでいちばん小柄なのがジャイアント吉田ってなものか 爺さんを訪ねるとバイクで土手道をテン場まで先導してくれる もう使ってないリンゴ畑の脇だ 設営が済んだら各々いざ釣り場へ 

ぼくとクラさんは車で二股の堰堤に 笹薮をかき分けしばし釣り上がる 水面近く上を流すとヤマメ 中層下ではイワナが出た 堰堤下が開けていて砂地になっている….と、足跡を発見 この寒さなのに裸足だ ?ん、人間じゃないっ 「クマだぁ~」2人は走る 記録更新的スピードで車に飛び乗り急いでドアロックをする(後でロックは余計じゃないか、クマが鍵を開けるかと笑い話になったけどさ)

#キャンプ
#秋田
#渓流釣り

ふきんとメンバー

ふきんとメンバー(店名「ふきのとう」マスターは「ふきんと」と言う)



かんすろけん
2020/10/12 12:06

②                    ☆

 仕事帰りに「よく働いた私に御褒美、一杯飲ませろ」
遊び帰りに(おいおい)「疲れたから、もすこし疲れさせてくれ 」
「きょうは旗日だからね、乾杯」
「 何でも無い日、ばんじゃい(わたしの大好きなセリフ「ふしぎの国のアリス」より)」
 
 なにかと理由をつけて店に寄る。常連は「ふきんと漁業組合」をでっち上げた釣り遊び仲間。
まず、店主(いつもいるのは当たり前、居ないと店に入れない)「山菜大王」、あるときは「野遊び師匠」、物知りの引き出しが沢山何段もあるから「タンス」。
 江戸友禅職人の落語好きな(「黒門町の」といえば、台東区西黒門町に住んだ8代目文楽の別名にちなみ)「金森の」。
 店舗デザイナーで飲むと何処ででもすぐに寝てしまう、お好みの枕は椅子の背もたれか河原の岩。某歌手に風貌そっくりなので「スティービー」。某歌手というのは誰か判ったでしょ、スーパースッティ〜ショオオオン♪。
 建築デザイナーで皮肉を言う為に生まれて来た「ガクエン」(これも住まい住所から)。
ガクエンの兄、やはりデザイナーで建築会社社員の理屈屋の、オピニオンリーダーと言ってもいいけど「オオヤ」。
 某警察署員、機動隊出身なれど気配りフットワークのよい「コバヤシ少年」(仲間内で最年少だから。30代にはなっている。少年探偵団にも所属している、ことにする)。
 店近くの着付け学校の講師、おねいさん気質で男まさり妙齢年長で元気印「ミオコさん」。
に、主なるメンバーの知人友人姻戚関係などの、弁護士、会計士、カメラマン、割烹店主、きちんと会社員などが入り乱れるのだ。
 
 顔見知りになる常連さんも増えて…常連の我々が常連と顔見知りになるのは自然の摂理天の配剤いわゆる当たり前なのだが、ほとんど毎日いらっしゃる綺麗な白髪のなぜか和服姿の「ピアノの先生」は御近所の方で独り住まい。夕食とビール一本でスッと帰られる。粋でござんす。息子さんがオートバイ競技トライアルの世界的なライダーである。トライアルを近場の里山でイタズラ乗りをする組合員とはバイク談義で親しくなった。
 
 そして、いつやら作業服姿の「うんだうんだ爺さん」も話しに加わるようになった。いつも2軒目に来るんだろう、へろっと酔ってて問わず語りに、東京で遊べるのが毎年たのしみで秋田から出稼ぎに来てる事、秋田はどの辺なのと聞くと「うんだうんだ」答えてませんな、返事はいつもこれだけ。探偵団のコバヤシくんが執拗な尋問をカツ丼差し入れながら白状させた調書によると有名温泉の奥で役内川と言う釣り絶好地である。
 うんだうんだ、ということで、もう秋も深まっていたが、「うんだ、仕事も終わり家にいるから待ってるねぇ(ここは不思議に訛り無し)」

連休にぶつけキャンプ釣行に行くことになった。


ふきんと開店





「ふきんと漁業組合」

それは昔…

 私の釣りの師匠が病高じて山菜居酒屋「ふきのとう」を市内雑居ビルの一階に開店させた。
本日は開店日とて仲間と連れ立ち花束に一升瓶に文庫本など提げてお祝である(文庫本は店が暇な時に読めという心遣いである。ああ美しいかな友情)。
 予定時間より早めにガラリと開けると左にカウンター厨房、テーブル席が4、3畳ほどの座敷となかなかの構えである。店主が仕込みをせっせとしながら「早えよぉ」と言いつつ溶けそうな笑顔で、奥さんが絣の着物でふくよかに迎えてくれ、無言でビールの栓を開けてくれる、シュポン。

 まず、フキノトウ こごみ シドケ ハリギリ うど ミズ たらの芽 アンニンゴ などの天麩羅、おひたし、和え物など山菜の料理が卓に並ぶ。刺身や煮物やら、店主が採取して来た物も「コレとソレね、きのう採ってきた」と混じる。この日のメンバー全員が御馴染み御存知だから食材の説明無しである。ヤマメの唐揚げがシュワシュワ言いながら出て来た。ヤマメ本人が言っているわけではない。2度揚げされているので頭から丸かじり。プハーとビールが旨い、男は黙ってサッポロ!

 主が店を構想していた頃に、いつもテンガロンハット姿で看板工房で(長年、看板屋をやっていた)「自分で取ってさ釣ってっさ、そういうのを出すんだ」と語っていた。わたしも看板の手伝いアルバイトを時々させてもらったが、雨が降って来ると「いい天気になったねぇ」と言いながら作業を止めてしまい、ピックアップトラックで渓に連れて行ってくれたものだ。(塗料の乾き具合も悪くなるし、設置にも不向き。なによりも魚の活性が良くなるので釣り日和ということ。車の荷台には釣餌のミミズ飼育箱が常備されていた)。
 
 にしても、名人ではあるが揚げているヤマメは数十である。どんだけ入れこんで釣ったのか…まさかね。知り合いの養魚場から仕入れるのを知っていたから「すごい大漁だねぇ名人、よっ!渓流の恐怖」と意地悪を言ってあげる。渓釣り、素潜り、焚火などもこなし、彼が通った後はペンペン草も生えないという恐怖の存在だが、わたしの皮肉に反応はない。店主の得意技は、何につけ「聴かぬ振り」である。

ほろ酔いで見渡すと「客の鈴なり」「春夏冬2升5合」などという縁起額が飾ってあった。
               ☆
「んだうんだ爺さん」←これは続きで

「新年の泡鍋」

22歳のころ新オープンのデパート系SCに職を得た 事業部のボウリング場とレストランが建物の下部にぶら下がる形で併設されていて見晴らしは良かった 国道246を見下ろし堤通り方を見やると結婚式場の向うに兵庫島があり玉川が流れていた 足元の駅裏すぐに二子玉川遊園地があり小さな映画館で洋画を観てドア続きの園を散歩するのが好きだった 会社の隣駅ある小さな水路脇にあるアパート一室が社員寮になっておりコックの同僚と2名で住んでいた 年末ギリギリまで仕事をして帰宅すると悲しい事実が待っていた 仕事中は賄いがあり食事には事欠かないのだが休みとなると当時はコンビニもない、自販機もない、金もない おらこんな時はヤダ 東京さ行くだ..来てるか...

御飯を炊くがオカズもない 醤油でもかけて食おうということをするのだが間違ってソースをかけてしまったことがある あまりいけませんな そんなおり正月の2日だったか水路向うの別棟社員寮アパートにサブシェフのブッチャー渡辺が酒を持参して来るから来ないかとお呼びがかかった しかも2升下げて来ると言う そりゃ行くわな 

大家所有の農地の奥に在る建物の外付け階段を上がり2階の部屋に行くと石油ストーブが暖かくすでに炬燵に4名ほど陣取りコップと茶碗で一杯やっていた 無理無理サラダ場のニャロメと洗い場のケムンパスの横に後続二人ボクとシゲが割り込み駆けつけ一杯 丼に乾き物が盛ってあるが他につまみはない 

するとブッチャーが炬燵テーブル上に大型テープカッターをデンと置いた これも持って来たようだ
「みんな5センチずつテープを千切れ」「?」言う通りにすると小皿の醤油に浸けて糊側を舐めろと言う ちと甘みのある糊と醤油が絡み合いエモイワレヌ美味…じゃなかった
が糊分の味が無くなったら遠慮せず追加していいぞだって しないよと言いつつ2回おかわり おかしいのか悲しいのかわからん 酒は飲み進める

しばし後 ブッチャーは仕様がないなぁとニャリとしながら台所に立ち冷蔵庫から包みを出してきて「鍋でもやるか」肉である「さすがナベさん鍋さん、よ、ブッチャー」と言ったらコツンとやられた 他にいれる野菜がないんだというので閃いた 先程畑に白菜がたくさんあったのを横目で見ていたのだよ 大家は近くに住んでないし仕方がないのでお断りせず調達した 

大振りのを2株 土付きなので新人コックの、名を忘れたAに洗ってもらう さぁ白菜肉鍋だ ガス台で煮始めるとなんや泡立つ…Aが洗材で白菜をきれいにしたんだよ

鯊釣り

9/28(土)西葛西のハゼ釣り 皆さんよく釣れた ボクは飲んでカメラ班 天麩羅サイズの透き通った綺麗な魚体 大抵はもちょい褐色がかってる 釣果を撮影するときは両手でカメラの方に突き出しポーズをしろって言ってるのにぃ 
門仲で飲ろうということで有名馴染み居酒屋に 混雑してあしらいも失礼だった ふん 脇路地に店をみつけ(わし適当に探すの得意です)しばし 当り!でした 
みなさん敬老ありがとう ぐす(元気なうちに年内にぜひリベンジを)71315211_2472940112791587_3547223544284839936_n

あまりの釣果に驚いた

流れがあればカダヤシくらいは居るだろうと地下鉄線路脇の溝を覗き込み、公園植え込みの水たまりに金魚が泳いでたことあったんよとすんなり通り過ぎることができず、電車で通過する河を欄干越しにポイントはあそこだとチェックするなど浮かされていた頃。

そのくせ何時間もかけて辿り着いた渓では小一時間もロッドを振ると、太陽も元気だしオゾンもいっぱい鳥のさえずりも風のそよぎも.....写真でも撮ろうっと、と熱中釣り師には遠かった。

これは秋田か岩手か、どこだろう?

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「オアシスらーめん」と「じょんのび、言うでっしょ」言わないよ

「いこいの店オアシス」

新潟県六日町、魚野川支流の三国川(さぐりがわ)ダム方面へ。ダムはコンクリートとちがい岩を積み上げた巨大堤構造体ロックフィルである。あ、今回目的はいちおう渓流釣り。

小さな親水公園をまたぐ橋の手前に「へぎ蕎麦」の店があり(織物に使う布海苔でつないだやたら腰のある滑らかな蕎麦を一口ずつずらりとへギという木の折敷に盛って出す)天麩羅をつまみにビールをやっつけるのが常であったが、この日は前回出撃の際に一度寄った「あのオアシスはどう?」と体重100キロ超のグルマン氏が言う(グルメかどうかは講評をひかえる。グルマンではある、大食漢ね)。

車で10分くらいか集落外れに赤いパトライトをいつもクルクル回転させて客が来る来る、いらっしゃいでありますというのが見えてくる。ガラリと入り、ウエーダー姿なことでもあり、座敷席の上がり框?に陣取る4名。ここの天麩羅は大皿目一杯山盛り、店主が庭先で取ってきた大葉、ウド、キュウリなどで作ってくれるつまみも嬉しく、ひたすら物量攻撃。つまみにしてビールで満足。

さて、グルマン・ナベちゃんは仕上げに`特製”オアシスラーメンを注文「どんなんか気になっていたのよ~」。しばし、運ばれて来たのは「おっほー」トンカツ、春巻き、揚げ餃子、カレーコロッケ、炒めウインナ、魚肉ソーセージ、チャーシューなど全部乗せ盛り上げ状態なり。うれしそうに箸でつまむと衣から中身がずるりと逃げ落ちた。つぎもズルリ。さすがのFカップ・ナベが残した。じょんのびimg106p

〈翌日/朝〜〉
川沿いにぽつんとある酒屋でキャンプ燃料の仕入れである(昨夜のうちにガス欠になった)。

手にした缶ビールに「新潟限定じょんのび」とある。やたらニコニコと暇そうな店の小母ちゃんにどういう意味かとたずねたら「あ~じょんのびじょんのびって言うでしょ」言わない。「温泉に入ったりして、ゆったりゆったり、じょんのび~って言うでっしょ」言わない、言わない。「こうやって伸びして、じょんのび~って」気持ちよくて伸びするときに言うらしい。ジェスチャー混じりでの熱演をありがとさん。

幕営地(メンバーの長老のボキャブラである、テン場も古いな、キャンプ地のこと)に戻りプシュ〜と缶を開けグビリ「じょんのび〜」と上ずった声で叫び三国川の一日は、焚火やら踊りやらで賑やかに過ぎていくのであった。周りは闇なのです。

高三キャンプ

img473キャンプ

高校3年の夏休みに(お~52年前である)同級生6人で日光方面に2泊3日で出かけた。受験生とて周囲は激勉なれど我々は余裕があるのかないのか、ま、いいやという集団なのであった。

佐野から電車に揺られ街を抜け田園地帯から、高原の林を抜け東武日光駅からバスに乗る。いろは坂をよッこら登り、左に見えませんが~華厳の滝ですなどと騒いでいるうちに中禅寺湖、から竜頭ノ滝で下車。千手浜まで山道を荷物担いで、地図を確認すると相当な距離と勾配があったのだな、よう行ったなぁ、わかかったのだ、ぐすん。

で誰もいないプライベートビーチと化した浜で幕営。先輩から借りたキャンバスのA型テント、旧式の底抜けのグランドシート必要なタイプ。隙間から虫が入ってくるのです。千手はなだらかな砂浜で人影もなし、薮から砂浜を割って流れくる沢水も透明清涼で申し分無し、風もなし天気晴朗。高校生だからサントリーレッドなんかも飲まないよ、水割りなんかしないよ…………..。

流木も豊富だったので焚火がよかったなぁ。よた話しをしてた皆が火を見つめると無口になる。言葉よりも炎のほうが饒舌なのだ。翌日、私も含め何人かは泳いだけれど、渚からドン深で低水温、日が差し込んでいるので湖底まで見通せ山椒魚が群れ居り「気持ち悪い~」と、唇青くして間もなく上陸。(後日、帰宅して知ったが其処で遭難した人があったようだ)

翌日は白根山に登頂。光徳キャンプ場で幕営。牧場が隣接なので、ちと家畜臭いのだが、ま、いいや。テントから水場まで距離があるのだが小さな容器しかない。絵描きの息子が笑いながら水を汲んで来た。、タップンタップン、おい、それコンドームじゃないか。

高三img462高三キャンプimg541p近所の家族連れのテントに妙齢の御嬢がおり、またぞろ絵描きの息子がアタック。わしら缶詰め有るも缶きりがなかったので、彼が借りに行き、御礼に缶詰めをシェアすることで、あちらの親御の覚え目出たく夜中まで帰って来なかったようだ、彼のその後の顛末は知らない。私ら焚火に専念してたもの。

さかなとり

さかなとり

魚釣りにのめった頃があった、けれど根が淡白なものなのでロッドを振り回すよりもオゾンがいっぱいだなぁなどと景色を眺めたり写真とったり山菜つんで喜ぶほうが主であった。
 
13700091_1064000270352252_1426126872777861426_n奥只見の湖に注ぐ北の又川は石抱き橋から彼方の山並みや雲の動きを呆見したり「水は水の味がした」開高碑を横目にしたり、橋の下を覗くと、ウエットスーツ姿で水面に浮かんでいる人がいた。
 
「なにしてるんですかぁ」「え〜魚をとっているんです」「ん?」ここは禁漁区である。
 「あのね、ここは、、」非難の言葉を呑んだ。彼の手には水中カメラ、魚撮りであった

高3夏キャンプ

高校3年の夏休みに(お~50年前である)同級生6人で日光方面に2泊3日で出かけた。受験時とて周囲は激勉なれど我々は余裕があるのかないのか、ま、いいやという集団なのであった。

東武電車からバスで中禅寺湖から千手浜に行き幕営。先輩から借りたキャンバスのA型テント、旧式の底抜けのグランドシート必要なタイプ。隙間から虫が入ってくるのです。千手はなだらかな砂浜で人影もなし、薮から砂浜を割って流れくる沢水も透明清涼で申し分無し、風もなし天気晴朗。高校生だからサントリーレッドなんかも飲まないよ、水割りなんかしないよ。

流木も豊富だったので焚火がよかったなぁ。よた話しをしてた皆が火を見つめると無口になる。言葉よりも炎が饒舌なのだろう。翌日、私も含め何人かは泳いだけれど、渚からドン深で低水温、日が差し込んでいるので湖底まで見通せ山椒魚が群れ居り「気持ち悪い~」と、唇青くして間もなく上陸。(後日、帰宅して知ったが其処で遭難した人があったようだ)

翌日は白根山に登頂。午後に光徳キャンプ場で幕営。牧場が隣接なので、ちと家畜臭いのだが、ま、いいや。テントから水場まで距離があるのだが小さな容器しかない。絵描きの息子が笑いながら水を汲んで来た。タップンタップン、おい、それコンドームじゃないか。近所の家族連れのテントに妙齢の御嬢がおり、またぞろ絵描きの息子がアタック。わしら缶詰め有るも缶きりがなかったので、彼が借りに御嬢のところに行き、御礼に缶詰めをシェアすることで、あちらの親御の覚え目出たく夜中まで帰って来なかったようだ、彼のその後の顛末は知らない。私ら焚火に専念してたもの。

御出町営スキー場の奇跡

『御出町営スキー場の奇跡』

☆スキー教室
 
 新潟県御出町からお隣の福島県只見町を結ぶ国道252号は県境の六十里越という名の長い道程の峠付近の積雪量が多く、例年11月下旬から翌年5月中旬は通行止めになる。冬季は福島県会津若松から只見を経由して新潟県御出町間は六十里越トンネルを介する只見線というローカル線が唯一の交通手段となる。                                             38駅ある只見線起点の御出町駅近く、徒歩5分、こんもりした丘に町営スキー場がある。「そこのスキー場で奇跡が起きたんよ」釣行などで訪問するといつもお世話になる近くのアウトドアショップオーナーの満栗さんが、コーヒーを淹れながら話し出した。30年程前のことだという…
 
 このスキー場で地元中学校2年生のスキー教室が開かれていた。名にし負う豪雪地帯であるので3メートル以上の積雪などは当たり前、スキーなどは下駄代わり、日常の足であり滑れない者など皆無であるが、ボーゲンやらパラレル、シュテムクリスチャニアなどなど「正しい」滑り方を学ぶのである。山田行けっ、桑原ストックを使えっ、いいぞ大島、なんて先生が教えていた目の前を一人が猛スピードで滑り抜けてコースを外れ姿を消した。

☆滑落事故
 
 斜面の方に滑り落ちたのだ。それほどの急傾斜でもなくすぐに這い上がってくるだろうと思われたがなかなか戻ってこない。誰か見てこいや。あ~い、数名の生徒が下り斜面に向かって間もなく「先生大変だあ」。駆けつけてみると雑木林の手前で姿を消した五十嵐が倒れている。気絶しているが怪我はないようだ。あちこたねえ(大した事ない)と声をかけると、う~んと言って起き上がった。痛いと言うので、足やら腰やらさすって調べてみるが「先生違うよ」といって両掌を広げて見せた。手袋が焼けこげていて火傷を負っているようだ。念のために病院に連れて行ったが、やはり火傷以外の怪我はなく安堵したのだが、さて火傷の原因は?

 スキー場の事故現場に戻り捜索開始。五十嵐のスキーの軌道をたどるとコースと斜面の境でジャンプしており、その地点の先の雑木林手前で倒れていた。2メートルほどの高さに高圧線がある。積雪のため手の届く高さになっているのだ。高圧線を掴んでしまい、電気ショックで失神したということか。

☆奇跡はこれからなのだ
 
 生徒五十嵐は少々暖かいほうで成績も芳しくなく、高校進学も危ぶまれていたが翌春、3年生に成る頃から成績が急上昇し始めた。間もなくトップクラスに突入し、名門高校に進学、国立大学にも合格し、官庁で仕事もばりばりとやっている地元期待の星と成ったのである。感電が眠っていた才能を奇跡を起こしたというのだが「高圧線に触るツアーがあるんですけどね、まだ誰も参加しないんですよ、行きます?」と満栗さんがにやりと笑っ

なぞのチャッタバ

大蛇が象を呑んだのではない帽子でもない←大蛇が象を呑んだのではない帽子でもない

自分にとってナゾだった事が突然!霹靂に氷解することがある。これまで知らなかった事を知って「そ〜だったのかあ」と不明を恥じずに喜んだりする事もある。そのような案件のひとつに「チャッタバ」があった。
渓流に出かけるのが熱だった頃(1980年頃か)。長野のフィールドに向かうルートの途中、須玉インタを降りて清里を抜けDダム方面への長い坂の大きくカーブする地点にそれはあった。チャッタバあり注意」という看板表示である。
 チャッタバって何?何に注意すべきなのであろうか。カーブ?急坂?横断地下道も設置してあったが地下に注意してどうするのであろうか?舗装が荒れていたがハンドルを取られないようにという意味か?
その後何回か通過してやはり気になる探究心。大きなカーブの急坂であるが、車をようよう寄せて調査に向かった。大型トラックが脇をハイスピードで通過するのを横目に虫眼鏡や顕微鏡で観察したが判明しなかった。
   その内に看板も撤去され調査の手掛かりもないまま時は過ぎるが、忘れかけていた「それ」は記憶の引き出しからなくなる事はなく雨の夜や居酒屋での一杯で、ふと蘇る。チャッタバチャッタバ…
 このナゾは10数年後に異国ニュージーランドで解決するのであった。
NZに仲間とともにフライフィッシングに出かけた。知り合いのガイドBさんの住むクライストチャーチに到着し準備を済ませて一人ぶらりと市中散歩に出かけたところ、左上図のような道路標識を見た。大蛇が象を呑んだのではない「judder bar」に注意とあり、その先のショッピングモール入り口の道路が少しコンモリと通行を妨げるように凸になっている。
       !突然霹靂氷解!した。
舗装に直角に凸部分を設けて車両の速度を落とさせる仕掛けを「ジャダーバー」というのである。かの「チャッタバ」はこれであったのであった。遭遇時に荒れた舗装と思ったのは凸状盛り上げ加工「チャッタバ=ジャダーバー」であった。外国語の和表記は難しいということか、ね。
(ジャダーには車用語で→クラッチやブレーキを使用した時の異常振動の意あり)

*ちなみに氷雨とかんかん照りの下、シーズンオフ間際と言うこともあってNZでは一匹も釣れなかった