新おじさん新聞/あの頃このごろ

「おじいさん新聞」のほうがそぐうのですが、一世風靡した週宝の人気ページ「おじさん新聞」の記者でありましたので習って「新おじさん新聞」。昭和少年の「あの頃」ベテランのおじさんになっての「このごろ」          http://blog.livedoor.jp/donsampo-muti/(閑話九題)http://blog.livedoor.jp/donsampo-bnumber/(東京横町路地さんぽ)http://blog.livedoor.jp/donsampo-mrloogan/archives/cat_226034.html(かく&つくる)

2017年12月

ふきんと漁業組合②

                    ☆

 仕事帰りに「よく働いた私に御褒美、一杯飲ませろ」
遊び帰りに(おいおい)「疲れたから、もすこし疲れさせてくれ 」
「きょうは旗日だからね、乾杯」
「 何でも無い日、ばんじゃい(わたしの大好きなセリフ「ふしぎの国のアリス」より)」
 
 なにかと理由をつけて店に寄る。常連は「ふきんと漁業組合」をでっち上げた釣り遊び仲間。
まず、店主(いつもいるのは当たり前、居ないと店に入れない)「山菜大王」、あるときは「野遊び師匠」、物知りの引き出しが沢山何段もあるから「タンス」。
 江戸友禅職人の落語好きな(「黒門町の」といえば、台東区西黒門町に住んだ8代目文楽の別名にちなみ)「金森の」。
 店舗デザイナーで飲むと何処ででもすぐに寝てしまう、お好みの枕は椅子の背もたれか河原の岩。某歌手に風貌そっくりなので「スティービー」。某歌手というのは誰か判ったでしょ、スーパースッティ〜ショオオオン♪。
 建築デザイナーで皮肉を言う為に生まれて来た「ガクエン」(これも住まい住所から)。
ガクエンの兄、やはりデザイナーで建築会社社員の理屈屋の、オピニオンリーダーと言ってもいいけど「オオヤ」。
 某警察署員、機動隊出身なれど気配りフットワークのよい「コバヤシ少年」(仲間内で最年少だから。30代にはなっている。少年探偵団にも所属している、ことにする)。
 店近くの着付け学校の講師、おねいさん気質で男まさり妙齢年長で元気印「ミオコさん」。
に、主なるメンバーの知人友人姻戚関係などの、弁護士、会計士、カメラマン、割烹店主、きちんと会社員などが入り乱れるのだ。
 
 顔見知りになる常連さんも増えて…常連の我々が常連と顔見知りになるのは自然の摂理天の配剤いわゆる当たり前なのだが、ほとんど毎日いらっしゃる綺麗な白髪のなぜか和服姿の「ピアノの先生」は御近所の方で独り住まい。夕食とビール一本でスッと帰られる。粋でござんす。息子さんがオートバイ競技トライアルの世界的なライダーである。トライアルを近場の里山でイタズラ乗りをする組合員とはバイク談義で親しくなった。
 
 そして、いつやら作業服姿の「うんだうんだ爺さん」も話しに加わるようになった。いつも2軒目に来るんだろう、へろっと酔ってて問わず語りに、東京で遊べるのが毎年たのしみで秋田から出稼ぎに来てる事、秋田はどの辺なのと聞くと「うんだうんだ」答えてませんな、返事はいつもこれだけ。探偵団のコバヤシくんが執拗な尋問をカツ丼差し入れながら白状させた調書によると有名温泉の奥で役内川と言う釣り絶好地である。
 うんだうんだ、ということで、もう秋も深まっていたが、「うんだ、仕事も終わり家にいるから待ってるねぇ(ここは不思議に訛り無し)」

連休にぶつけキャンプ釣行に行くことになった。

「ふきんと漁業組合①」

「ふきんと漁業組合」

それは昔…

 私の釣りの師匠が病高じて山菜居酒屋「ふきのとう」を市内雑居ビルの一階に開店させた。
本日は開店日とて仲間と連れ立ち花束に一升瓶に文庫本など提げてお祝である(文庫本は店が暇な時に読めという心遣いである。ああ美しいかな友情)。
 予定時間より早めにガラリと開けると左にカウンター厨房、テーブル席が4、3畳ほどの座敷となかなかの構えである。店主が仕込みをせっせとしながら「早えよぉ」と言いつつ溶けそうな笑顔で、奥さんが絣の着物でふくよかに迎えてくれ、無言でビールの栓を開けてくれる、シュポン。

 まず、フキノトウ こごみ シドケ ハリギリ うど ミズ たらの芽 アンニンゴ などの天麩羅、おひたし、和え物など山菜の料理が卓に並ぶ。刺身や煮物やら、店主が採取して来た物も「コレとソレね、きのう採ってきた」と混じる。この日のメンバー全員が御馴染み御存知だから食材の説明無しである。ヤマメの唐揚げがシュワシュワ言いながら出て来た。ヤマメ本人が言っているわけではない。2度揚げされているので頭から丸かじり。プハーとビールが旨い、男は黙ってサッポロ!

 主が店を構想していた頃に、いつもテンガロンハット姿で看板工房で(長年、看板屋をやっていた)「自分で取ってさ釣ってっさ、そういうのを出すんだ」と語っていた。わたしも看板の手伝いアルバイトを時々させてもらったが、雨が降って来ると「いい天気になったねぇ」と言いながら作業を止めてしまい、ピックアップトラックで渓に連れて行ってくれたものだ。(塗料の乾き具合も悪くなるし、設置にも不向き。なによりも魚の活性が良くなるので釣り日和ということ。車の荷台には釣餌のミミズ飼育箱が常備されていた)。
 
 にしても、名人ではあるが揚げているヤマメは数十である。どんだけ入れこんで釣ったのか…まさかね。知り合いの養魚場から仕入れるのを知っていたから「すごい大漁だねぇ名人、よっ!渓流の恐怖」と意地悪を言ってあげる。渓釣り、素潜り、焚火などもこなし、彼が通った後はペンペン草も生えないという恐怖の存在だが、わたしの皮肉に反応はない。店主の得意技は、何につけ「聴かぬ振り」である。

ほろ酔いで見渡すと「客の鈴なり」「春夏冬2升5合」などという縁起額が飾ってあった。
               ☆
「んだうんだ爺さん」←これは続きで