新おじさん新聞/あの頃このごろ

「おじいさん新聞」のほうがそぐうのですが、一世風靡した週宝の人気ページ「おじさん新聞」の記者でありましたので習って「新おじさん新聞」。昭和少年の「あの頃」ベテランのおじさんになっての「このごろ」          http://blog.livedoor.jp/donsampo-muti/(閑話九題)http://blog.livedoor.jp/donsampo-bnumber/(東京横町路地さんぽ)http://blog.livedoor.jp/donsampo-mrloogan/archives/cat_226034.html(かく&つくる)

2016年08月

「オアシスらーめん」と「じょんのび、言うでっしょ」言わないよ

「いこいの店オアシス」

新潟県六日町、魚野川支流の三国川(さぐりがわ)ダム方面へ。ダムはコンクリートとちがい岩を積み上げた巨大堤構造体ロックフィルである。あ、今回目的はいちおう渓流釣り。

小さな親水公園をまたぐ橋の手前に「へぎ蕎麦」の店があり(織物に使う布海苔でつないだやたら腰のある滑らかな蕎麦を一口ずつずらりとへギという木の折敷に盛って出す)天麩羅をつまみにビールをやっつけるのが常であったが、この日は前回出撃の際に一度寄った「あのオアシスはどう?」と体重100キロ超のグルマン氏が言う(グルメかどうかは講評をひかえる。グルマンではある、大食漢ね)。

車で10分くらいか集落外れに赤いパトライトをいつもクルクル回転させて客が来る来る、いらっしゃいでありますというのが見えてくる。ガラリと入り、ウエーダー姿なことでもあり、座敷席の上がり框?に陣取る4名。ここの天麩羅は大皿目一杯山盛り、店主が庭先で取ってきた大葉、ウド、キュウリなどで作ってくれるつまみも嬉しく、ひたすら物量攻撃。つまみにしてビールで満足。

さて、グルマン・ナベちゃんは仕上げに`特製”オアシスラーメンを注文「どんなんか気になっていたのよ~」。しばし、運ばれて来たのは「おっほー」トンカツ、春巻き、揚げ餃子、カレーコロッケ、炒めウインナ、魚肉ソーセージ、チャーシューなど全部乗せ盛り上げ状態なり。うれしそうに箸でつまむと衣から中身がずるりと逃げ落ちた。つぎもズルリ。さすがのFカップ・ナベが残した。じょんのびimg106p

〈翌日/朝〜〉
川沿いにぽつんとある酒屋でキャンプ燃料の仕入れである(昨夜のうちにガス欠になった)。

手にした缶ビールに「新潟限定じょんのび」とある。やたらニコニコと暇そうな店の小母ちゃんにどういう意味かとたずねたら「あ~じょんのびじょんのびって言うでしょ」言わない。「温泉に入ったりして、ゆったりゆったり、じょんのび~って言うでっしょ」言わない、言わない。「こうやって伸びして、じょんのび~って」気持ちよくて伸びするときに言うらしい。ジェスチャー混じりでの熱演をありがとさん。

幕営地(メンバーの長老のボキャブラである、テン場も古いな、キャンプ地のこと)に戻りプシュ〜と缶を開けグビリ「じょんのび〜」と上ずった声で叫び三国川の一日は、焚火やら踊りやらで賑やかに過ぎていくのであった。周りは闇なのです。

「越後の夏休み⑤1985」5日目

img067〈5日目〉
左に日本海を見ながら北上再開、時に内陸に迷い込む。着かず離れずの線路は越後線かな、複雑交差点が何箇所かあり本格的に迷い、渡った大河は信濃川だろう、黄昏れ迫る新潟市に着いた。

適当な海岸の砂浜にテントを張り、夕食の材料を買いに行くが開いてる店が無い。コンビニやスーパーなどもない、そういう時代だったのかしらん、今は便利にコンビーエントになったねと感慨。野菜や御飯の備蓄はあるが….焼肉でもしてあげたかった、と、目前に焼肉の店の看板。肉を分けてもらうことにする。もちろんメニュー値段で高いので少しだけね。img070

朝。さらに北上する。なんども言うが目的はない。ま、行ってみっかというところ。ずっと海岸線に着かず離れず、ずっと着いてるのはライン改めまして羽越本線。子達は寝かせておき、海岸から小さな流れに一人入り毛針を振るが、いつものように熱心なので30分ほどでご帰還。この辺の小渓はアメマスなど生息すとガイド本にあったが、なるほど、いない!img079

ちょっとした広場があり遊具など何もなく何本かの桜と水道栓一個だが多分、公園で洗顔、子達も慣れたものだ、歯磨きクチュクチュぺ、などとやっている。海鮮味噌汁とおにぎりの朝御飯。ニコニコしながら食べる姉弟は、さして喧嘩もせず我が侭も言わず良い子達であるが、良い子に躾けてしまった責任みたいなものが過る。もっと爛漫でもよかったのかなどと、しんみりしたりして。

陸から海に山が傾れ込んでいる奇岩の景勝が続く「笹川流れ」で、しばし遊ぶ。ここから山形か福島の内陸に入り帰路についたらしいが、わ〜覚えてない。ま、無事に「越後の夏休み1985」終了。

(翌年からも何回かカミさんも参加しての旅をした)img068

越後の夏休み④もっと昔にも行っていたのだ

img082子達との「新潟での夏休み」は、この年を皮切りに何年か続くのだけれど新潟を目指すようになったルーツがある。

1985年の更に20年ほど前(人には歴史あり)わたしは学生で、帰省した折りに待ち構えていた親父、わたし、13歳年下の弟の3人で「男の旅」に出かけることになった。父は仕事での訪越などの経験からであろう、7月中は先の地の学校他は夏休み前であり、空いててのんびりできること、道を訊くとわざわざ先導してくれるほどの田舎の人情豊かさ、食べ物が安く旨いこと、なんたって「おもしれえんだよ」おすすめなのである。

自家用パブリカに七輪やテント、ヤカンと共に乗り込んだ。高速道路などやはり無いので国道をゆらゆらと行くのだが国境を越えて北国に入るとスノーシェッドや田んぼの中の鯉池、大雪備えの腰高住居、各所のスキー場、雁木造り商店街、融雪設備の夏期散水など、景色植栽物価気質などなど目新しく面白いものであった。img081

今は見ない、ある意味先進の日除け虫除け目だけ出しのハンコタンナ黒装束のご夫人達と記念撮影したり、見渡す限り数人しかいない海水浴場で泳いだり農家の軒先にテントを張らしてもらったり2個数百円の大きなスイカにかぶりついたり。浜焼きを食べたのも初めてだった。img083

1985 越後の夏休み③

〈4日目〉img080
さらに北上。新潟は広い、というか長い、遠い。どこまで行っても国境を越えない、亡命は困難であろうなどと思う。なだらか平地にツン抜けた山塊が見えてきた。弥彦山だ。学生の頃に切手収集をしていて、記念切手の「佐渡弥彦国定公園」の絵柄で御馴染みの山容なので(どういう理屈なんだろうか)海岸に行ってみる。
 
ロープウエイに乗るのでも神社に詣るでもなく、海岸の空地に車を停めて、子達は海水浴。流木を集めて小さな焚火を始める。海から上がった体を暖めるために、も。古ホールキャップを持ち出し、火にのせる。脇にヤカンを置き湯を沸かす。鉄板が、いや、ホイルが熱くなって来たので、クーラーからカニを取り出し鉄板ホイルで焼く。子達を呼び、温湯シャワーを浴びせて着替えをさせる。裸を恥ずかしがらないが、いつまでかなぁと親みたいな(親だろ!)感慨が一瞬よぎる。さ、カップ麺とカニのランチ。カニを食べると無口になるとかいうが、おいしーキャッぴよピヨ!にぎやかである。バケツに水を汲んだフィンガーボウルで御上品に?指をぬぐう。

紫雲寺という所で何気に国道から外れ旧街道にはいる。古くからの漁村で小さな宿なども在り、店の中の炉で魚を焼いているのが開け放たれた入り口から見える。大きな囲炉裏みたいに角枠いっぱいの灰に串刺しの魚が炭火に炙られじゅーじゅーしているのを腰掛けた小母さんが手返ししている。おやつ時である、3人それぞれ好みの(適当に)魚を一本ずつ求める。かなり大振りでお買い得のを車に戻り海を見ながら食べることにする。img069

長女は丸イカ、長男はエビ(逆だったかな?/どこでも食べられる魚じゃないの、この地でなくてはの珍しいのを….ま、いいか)わたしはの30センチほどのウツボ。噂の通り白身で味が濃くクセも無い。それぞれがカブリツクが旨いね~、それぞれ育ちが良いので仲良くシェアする。けなそうとしたエビ、イカもウマいじゃないの、一味ちがいましたよ。img066  (食べてる写真上は翌年1986)

1985年 越後の夏休み②

〈3日目〉

昨夜は国道際から浜で上がる花火を見物。スノーケリングや小魚と遊び、子達は疲れたろう早めに就寝。木立の中とて蚊取り線香と小さな焚火を見ながら飲む。img065

木漏れ日の朝、キャンプを撤収して(常設テント泊なので片付け簡単)出発。しばし街中の国道をのんびり走る。越後線だろうか時折線路沿いになる。柏崎を過ぎ、出雲崎当たりで脇道に入ると農村風景。道路地図で見た(10万分の1縮尺の大判、他にガイド資料はないのだ)良寛さんゆかりの里など見学する。石碑と古いお堂と…連日晴天カラッカラ、まぶしい旅です。

さてまた海沿い鉄道沿い(羽越本線)の道に戻り寺泊の町へ。魚市場前の浜の市営無料駐車場に、今夜の宿を探す。町中なのでキャンプというわけにもいかず車中泊にチェックイン。車の屋根にシャワー用の黒ゴミ袋水入りを、たっぷんたっぷんさせながら載せる。ソーラー温熱機というわけ。夕方の町をぶらぶら。img052寺泊かに のコピーimg078

市場で魚を物色。お金を持たせた子達が買ったものはタラバカニ。わたし喉が渇いたし子達は腹がへったろう。クーラーボックスにカニをしまい(明日たべるのだ)先ほど目星をつけておいた市場近くの魚料理居酒屋に3人連れ立って「あう、ごめんよ」とノレンをくぐる。子達に「なんでも好きなもんを頼みな」と太っ腹。う〜んと、う〜んと…好みを聞きながら見繕い、御飯もつけて「いっただきまーす」わたしただ今ビール2本目。楽しくおいしい宴会のあとは目の前の浜に連日の花火見物。この時期も観光シーズンとて催し物も多いのだな。img067

砂浜に適当に陣取る。市中放送スピーカーから「本日はたいそうなにぎわいで○○海岸はxx人のお客様が…..」とアナウンスしていたが、ゆったりしたもんです。
いきなり「どどどバババシュ〜」と座っているすぐ横から、打ち上げが始まりびっくり!!!img045寺泊花火 のコピー

「1985年7月 越後の夏」

「1985年7月 越後の夏」img049初日p

小学校が夏休みに入ったばかりの7月末の朝に長女長男を連れて「自家用車」で、新潟方面に出かけた。北のかの地は未だ夏休みになっておらず、海山も空いていて過ごしやすいのだ。(8月になってから短い夏休みになり代替えに冬休みが長い)img063

友人のカメラマンの愛用タウンエースが当年車検切れ、まだ残りが半年ばかり在るので「要らないかなぁ」というので焼き鳥と引き換えに頂いた。写真家が仕事で使用していたのでルーフによじ登れる荷物台あり、車内はフラットになりコンパネと花ござで和室も作ってあるのだ。寝具炊事道具など満載で、先輩記者が命名した「おもしろ車号」は出発した。

町田から八王子方面へ。高速道路は無いったらない、中央道も圏央道もアウトバンもないので国道を行く。オニギリを食べ麦茶を飲んだりし、エアコンの無い車内は夏らしい陽気である。けれど昨今ほど高気温でなく猛暑の記憶はない。ウィンド開ければしのげたよ。16号から東松山、17号に入り工事車両がわんさかホコリを上げる国道から峠越えをして湯沢に出た。関越トンネルが開通したのは1985年10月なのだ。湯沢駅前に駐車し食堂で昼食(なにを食べたろうか、野菜炒めにラーメン?カレーライスか、そんなもん。え、ウナギに寿司だった?←見栄を張ってはいけません)

苗場から小千谷、長岡…新潟は広く道は遠い。最初から「どこに行く」という予定も無く、海に行きたいよねと、長岡で左折し柿崎をかすめて上越方面へ。何時間走ったのだろうね、もうすぐ暗くなる。海が見えて来て海岸への道路が見えた、今夜は波音を聞きながら車内泊です。

〈2日目〉img047水族館 のコピーimg059上越遊具 のコピー

朝。同じような姿勢で重なって子供達は寝ている。そばの砂浜に出るとお盆か法事か仏花や原色の飾り物が打ち寄せられていた。視線を上げると苅羽だろうか原発が遠望された。楽しくもないので車を出し移動だ。地図で見ると(当然カーナビなどない)ここは鯨波らしい。柿崎をかすめて上越市方面へ。海岸近くに松林が在り、そこで軽く食事にする。カセットコンロだったかガスストーブだったか焚火だったかで調理した。(昔のことは忘れてしまいますね)img053笠島キャンプ のコピーimg064

近くの水族博物館に行く。駐車無料、遊び放題の空中自転車などの遊具も完備、ここは当たりであった。巨大タカアシカニやシーラカンスにビックリしたりゆっくり時間を過ごして北上する。なんてことない昨日来た道へ戻っているのよ、計画無しだから効率は考えてないのよね。img071img072

柿崎あたりでキャンプ場の案内板をみつけ、山方向に右折。小高くなった濃い緑陰の「笠島休養地キャンプ場」常設のテントに荷を運び食事をする。運動公園で遊ばせる。海岸で今夜は花火大会があるそうだ。img062

明日は寺泊に向かう。「魚のアメ横」(東京上野のアメ横が商標権を所有しているのでいまは「魚の市場通り」という)
img057笠島渚 のコピーimg050笠島花火p

高三キャンプ

img473キャンプ

高校3年の夏休みに(お~52年前である)同級生6人で日光方面に2泊3日で出かけた。受験生とて周囲は激勉なれど我々は余裕があるのかないのか、ま、いいやという集団なのであった。

佐野から電車に揺られ街を抜け田園地帯から、高原の林を抜け東武日光駅からバスに乗る。いろは坂をよッこら登り、左に見えませんが~華厳の滝ですなどと騒いでいるうちに中禅寺湖、から竜頭ノ滝で下車。千手浜まで山道を荷物担いで、地図を確認すると相当な距離と勾配があったのだな、よう行ったなぁ、わかかったのだ、ぐすん。

で誰もいないプライベートビーチと化した浜で幕営。先輩から借りたキャンバスのA型テント、旧式の底抜けのグランドシート必要なタイプ。隙間から虫が入ってくるのです。千手はなだらかな砂浜で人影もなし、薮から砂浜を割って流れくる沢水も透明清涼で申し分無し、風もなし天気晴朗。高校生だからサントリーレッドなんかも飲まないよ、水割りなんかしないよ…………..。

流木も豊富だったので焚火がよかったなぁ。よた話しをしてた皆が火を見つめると無口になる。言葉よりも炎のほうが饒舌なのだ。翌日、私も含め何人かは泳いだけれど、渚からドン深で低水温、日が差し込んでいるので湖底まで見通せ山椒魚が群れ居り「気持ち悪い~」と、唇青くして間もなく上陸。(後日、帰宅して知ったが其処で遭難した人があったようだ)

翌日は白根山に登頂。光徳キャンプ場で幕営。牧場が隣接なので、ちと家畜臭いのだが、ま、いいや。テントから水場まで距離があるのだが小さな容器しかない。絵描きの息子が笑いながら水を汲んで来た。、タップンタップン、おい、それコンドームじゃないか。

高三img462高三キャンプimg541p近所の家族連れのテントに妙齢の御嬢がおり、またぞろ絵描きの息子がアタック。わしら缶詰め有るも缶きりがなかったので、彼が借りに行き、御礼に缶詰めをシェアすることで、あちらの親御の覚え目出たく夜中まで帰って来なかったようだ、彼のその後の顛末は知らない。私ら焚火に専念してたもの。