新おじさん新聞/あの頃このごろ

「おじいさん新聞」のほうがそぐうのですが、一世風靡した週宝の人気ページ「おじさん新聞」の記者でありましたので習って「新おじさん新聞」。昭和少年の「あの頃」ベテランのおじさんになっての「このごろ」          http://blog.livedoor.jp/donsampo-muti/(閑話九題)http://blog.livedoor.jp/donsampo-bnumber/(東京横町路地さんぽ)http://blog.livedoor.jp/donsampo-mrloogan/archives/cat_226034.html(かく&つくる)

2010年04月

フマキラーと映画館

映画館


 僕は中学生になっていた。テレビが普及し始めて間もない頃でチャンネル数3局ほどか、放映も日に数時間、ゴールデンタイムには終了しちゃうなんて放送局もあり娯楽的映像は映画館に行かないと出会えないものだった。
 僕が住むS市の人口は6万人あったろうか、それくらいの規模の街に映画館が6館あった。昇映、電気館、中央劇場、佐野劇場、セントラル、それと?何だっけで計6。各館それぞれ大映系、日活系、東宝系、洋画系などをメインに上映していた。入場料は100円くらいか、小遣いを工面すれば何とかなるという額だったと記憶する。新聞折り込みのビラ下券という割引券を使ったりして週一は胸ときめく暗がりへと飛んで行き、月内でグルリと全館制覇していた。加えて隣町の館にも遠征したりの映画小僧だったのである。 
             ☆
 S市に封切り館はなく「旅愁」とか「悲愁」とか「ロビンフッドの冒険」「怪人二十面相」「夜はやさしく」「地獄の戦線」「丹下左膳」「ペペルモコ」などなど、製作封切時間を越えて同時期にショータイム。2本、3本立ては当たり前、夏休みなどには「四谷怪談」「番町皿屋敷」「フランケンシュタイン」「少年探偵団」等まとめて13本立てなどと超弩級の興業もあって、朝から弁当持参で繰り出す。 エアコン設備などないから日が暮れると換気と冷風呼び込みのため窓を全開にする。昼間も休憩時間には窓が開け放たれ眩しく外気導入となる。すると、蚊など入ってきます。館内に蚊取り線香が焚いてあり(タバコを喫っている大人もいたが黙認されていたようだ)各種の煙たなびき、加えて係員が噴霧器をシュポシュポ押して殺虫剤を噴霧しながら通路を行ったり来たりする。
             ☆
休憩時間には「呼び出し」のサービス」があった。これをいたずらの偽名で申し込む。マイクは使用せず館のお姉さんが肉声で「万町からお越しの吉田兼好さま、お友達がロビーでお待ちです」     仲間が次々と申し込むので珍名や偉人有名人の名前が続き「夏目漱石」はないよね、さすがにばれてしまいましたごめんなさい。 
 ラブロマンスと戦争スペクタクルごった煮観賞と殺虫剤の臭いと呼び出しオバさんの声が映画というもの。迷惑音が出る煎餅やポップコーンをおやつに選びポリポリやるのも思い出のひとつです、ごめんなさい。

*噴霧器 懐かしいレトロなものと思っていたがふまきらaフマキラーの手動噴霧器は現役でした、ごめんなさい。今でもホームセンターで売っていました。800円くらい。

こどもラーメン

市内の食べ物屋はおおむね盛りが良い。そうと知らず、いつものように「大盛りで」などと注文すると、食べきれずに苦労することになる。今や名物となったS野ラーメンもスープたっぷりドンブリから溢れんばかり、麺もhpラーメン絵これが一人前かあ!とひるむほどに盛り込む店が多い。大盛りグルメの人にはキャッホーであるが、わしらは食べたい餃子も注文せず我慢して、ボリュームたっぷりのラーメンに取り組む。ふう〜。 ということで、一日であの店この店と食べ歩くことは叶わず、後日改めての再出撃となり、評判店全制覇はいつになるやらということになる。それはそれで楽しみであるけれどね。
私が学童だった昭和三十年代頃のメニューに小丼鉢で小盛りの「こどもラーメン」というのがあった。一杯20円だったかなあ、40円だったか普通ラーメンの半額だった。忙しい商家の腹ぺこ息子のおやつは、いつもコレ。学校から帰ると小銭を手に裏の店に飛んで行ったものです。で。この手の
小サイズのラーメンがあれば、観光客は食べ歩きができて喜ぶのではないかしらん。いかが。