「いこいの店オアシス」
新潟県六日町、魚野川支流の三国川(さぐりがわ)ダム方面へ。ダムはコンクリートとちがい岩を積み上げた巨大堤構造体ロックフィルである。あ、今回目的はいちおう渓流釣り。
小さな親水公園をまたぐ橋の手前に「へぎ蕎麦」の店があり(織物に使う布海苔でつないだやたら腰のある滑らかな蕎麦を一口ずつずらりとへギという木の折敷に盛って出す)天麩羅をつまみにビールをやっつけるのが常であったが、この日は前回出撃の際に一度寄った「あのオアシスはどう?」と体重100キロ超のグルマン氏が言う(グルメかどうかは講評をひかえる。グルマンではある、大食漢ね)。
車で10分くらいか集落外れに赤いパトライトをいつもクルクル回転させて客が来る来る、いらっしゃいでありますというのが見えてくる。ガラリと入り、ウエーダー姿なことでもあり、座敷席の上がり框?に陣取る4名。ここの天麩羅は大皿目一杯山盛り、店主が庭先で取ってきた大葉、ウド、キュウリなどで作ってくれるつまみも嬉しく、ひたすら物量攻撃。つまみにしてビールで満足。
さて、グルマン・ナベちゃんは仕上げに`特製”オアシスラーメンを注文「どんなんか気になっていたのよ~」。しばし、運ばれて来たのは「おっほー」トンカツ、春巻き、揚げ餃子、カレーコロッケ、炒めウインナ、魚肉ソーセージ、チャーシューなど全部乗せ盛り上げ状態なり。うれしそうに箸でつまむと衣から中身がずるりと逃げ落ちた。つぎもズルリ。さすがのFカップ・ナベが残した。
〈翌日/朝〜〉
川沿いにぽつんとある酒屋でキャンプ燃料の仕入れである(昨夜のうちにガス欠になった)。
手にした缶ビールに「新潟限定じょんのび」とある。やたらニコニコと暇そうな店の小母ちゃんにどういう意味かとたずねたら「あ~じょんのびじょんのびって言うでしょ」言わない。「温泉に入ったりして、ゆったりゆったり、じょんのび~って言うでっしょ」言わない、言わない。「こうやって伸びして、じょんのび~って」気持ちよくて伸びするときに言うらしい。ジェスチャー混じりでの熱演をありがとさん。
幕営地(メンバーの長老のボキャブラである、テン場も古いな、キャンプ地のこと)に戻りプシュ〜と缶を開けグビリ「じょんのび〜」と上ずった声で叫び三国川の一日は、焚火やら踊りやらで賑やかに過ぎていくのであった。周りは闇なのです。
新潟県六日町、魚野川支流の三国川(さぐりがわ)ダム方面へ。ダムはコンクリートとちがい岩を積み上げた巨大堤構造体ロックフィルである。あ、今回目的はいちおう渓流釣り。
小さな親水公園をまたぐ橋の手前に「へぎ蕎麦」の店があり(織物に使う布海苔でつないだやたら腰のある滑らかな蕎麦を一口ずつずらりとへギという木の折敷に盛って出す)天麩羅をつまみにビールをやっつけるのが常であったが、この日は前回出撃の際に一度寄った「あのオアシスはどう?」と体重100キロ超のグルマン氏が言う(グルメかどうかは講評をひかえる。グルマンではある、大食漢ね)。
車で10分くらいか集落外れに赤いパトライトをいつもクルクル回転させて客が来る来る、いらっしゃいでありますというのが見えてくる。ガラリと入り、ウエーダー姿なことでもあり、座敷席の上がり框?に陣取る4名。ここの天麩羅は大皿目一杯山盛り、店主が庭先で取ってきた大葉、ウド、キュウリなどで作ってくれるつまみも嬉しく、ひたすら物量攻撃。つまみにしてビールで満足。
さて、グルマン・ナベちゃんは仕上げに`特製”オアシスラーメンを注文「どんなんか気になっていたのよ~」。しばし、運ばれて来たのは「おっほー」トンカツ、春巻き、揚げ餃子、カレーコロッケ、炒めウインナ、魚肉ソーセージ、チャーシューなど全部乗せ盛り上げ状態なり。うれしそうに箸でつまむと衣から中身がずるりと逃げ落ちた。つぎもズルリ。さすがのFカップ・ナベが残した。
〈翌日/朝〜〉
川沿いにぽつんとある酒屋でキャンプ燃料の仕入れである(昨夜のうちにガス欠になった)。
手にした缶ビールに「新潟限定じょんのび」とある。やたらニコニコと暇そうな店の小母ちゃんにどういう意味かとたずねたら「あ~じょんのびじょんのびって言うでしょ」言わない。「温泉に入ったりして、ゆったりゆったり、じょんのび~って言うでっしょ」言わない、言わない。「こうやって伸びして、じょんのび~って」気持ちよくて伸びするときに言うらしい。ジェスチャー混じりでの熱演をありがとさん。
幕営地(メンバーの長老のボキャブラである、テン場も古いな、キャンプ地のこと)に戻りプシュ〜と缶を開けグビリ「じょんのび〜」と上ずった声で叫び三国川の一日は、焚火やら踊りやらで賑やかに過ぎていくのであった。周りは闇なのです。
〈5日目〉
左に日本海を見ながら北上再開、時に内陸に迷い込む。着かず離れずの線路は越後線かな、複雑交差点が何箇所かあり本格的に迷い、渡った大河は信濃川だろう、黄昏れ迫る新潟市に着いた。
適当な海岸の砂浜にテントを張り、夕食の材料を買いに行くが開いてる店が無い。コンビニやスーパーなどもない、そういう時代だったのかしらん、今は便利にコンビーエントになったねと感慨。野菜や御飯の備蓄はあるが….焼肉でもしてあげたかった、と、目前に焼肉の店の看板。肉を分けてもらうことにする。もちろんメニュー値段で高いので少しだけね。
朝。さらに北上する。なんども言うが目的はない。ま、行ってみっかというところ。ずっと海岸線に着かず離れず、ずっと着いてるのはライン改めまして羽越本線。子達は寝かせておき、海岸から小さな流れに一人入り毛針を振るが、いつものように熱心なので30分ほどでご帰還。この辺の小渓はアメマスなど生息すとガイド本にあったが、なるほど、いない!
ちょっとした広場があり遊具など何もなく何本かの桜と水道栓一個だが多分、公園で洗顔、子達も慣れたものだ、歯磨きクチュクチュぺ、などとやっている。海鮮味噌汁とおにぎりの朝御飯。ニコニコしながら食べる姉弟は、さして喧嘩もせず我が侭も言わず良い子達であるが、良い子に躾けてしまった責任みたいなものが過る。もっと爛漫でもよかったのかなどと、しんみりしたりして。
陸から海に山が傾れ込んでいる奇岩の景勝が続く「笹川流れ」で、しばし遊ぶ。ここから山形か福島の内陸に入り帰路についたらしいが、わ〜覚えてない。ま、無事に「越後の夏休み1985」終了。
(翌年からも何回かカミさんも参加しての旅をした)
左に日本海を見ながら北上再開、時に内陸に迷い込む。着かず離れずの線路は越後線かな、複雑交差点が何箇所かあり本格的に迷い、渡った大河は信濃川だろう、黄昏れ迫る新潟市に着いた。
適当な海岸の砂浜にテントを張り、夕食の材料を買いに行くが開いてる店が無い。コンビニやスーパーなどもない、そういう時代だったのかしらん、今は便利にコンビーエントになったねと感慨。野菜や御飯の備蓄はあるが….焼肉でもしてあげたかった、と、目前に焼肉の店の看板。肉を分けてもらうことにする。もちろんメニュー値段で高いので少しだけね。
朝。さらに北上する。なんども言うが目的はない。ま、行ってみっかというところ。ずっと海岸線に着かず離れず、ずっと着いてるのはライン改めまして羽越本線。子達は寝かせておき、海岸から小さな流れに一人入り毛針を振るが、いつものように熱心なので30分ほどでご帰還。この辺の小渓はアメマスなど生息すとガイド本にあったが、なるほど、いない!
ちょっとした広場があり遊具など何もなく何本かの桜と水道栓一個だが多分、公園で洗顔、子達も慣れたものだ、歯磨きクチュクチュぺ、などとやっている。海鮮味噌汁とおにぎりの朝御飯。ニコニコしながら食べる姉弟は、さして喧嘩もせず我が侭も言わず良い子達であるが、良い子に躾けてしまった責任みたいなものが過る。もっと爛漫でもよかったのかなどと、しんみりしたりして。
陸から海に山が傾れ込んでいる奇岩の景勝が続く「笹川流れ」で、しばし遊ぶ。ここから山形か福島の内陸に入り帰路についたらしいが、わ〜覚えてない。ま、無事に「越後の夏休み1985」終了。
(翌年からも何回かカミさんも参加しての旅をした)
子達との「新潟での夏休み」は、この年を皮切りに何年か続くのだけれど新潟を目指すようになったルーツがある。
1985年の更に20年ほど前(人には歴史あり)わたしは学生で、帰省した折りに待ち構えていた親父、わたし、13歳年下の弟の3人で「男の旅」に出かけることになった。父は仕事での訪越などの経験からであろう、7月中は先の地の学校他は夏休み前であり、空いててのんびりできること、道を訊くとわざわざ先導してくれるほどの田舎の人情豊かさ、食べ物が安く旨いこと、なんたって「おもしれえんだよ」おすすめなのである。
自家用パブリカに七輪やテント、ヤカンと共に乗り込んだ。高速道路などやはり無いので国道をゆらゆらと行くのだが国境を越えて北国に入るとスノーシェッドや田んぼの中の鯉池、大雪備えの腰高住居、各所のスキー場、雁木造り商店街、融雪設備の夏期散水など、景色植栽物価気質などなど目新しく面白いものであった。
今は見ない、ある意味先進の日除け虫除け目だけ出しのハンコタンナ黒装束のご夫人達と記念撮影したり、見渡す限り数人しかいない海水浴場で泳いだり農家の軒先にテントを張らしてもらったり2個数百円の大きなスイカにかぶりついたり。浜焼きを食べたのも初めてだった。
1985年の更に20年ほど前(人には歴史あり)わたしは学生で、帰省した折りに待ち構えていた親父、わたし、13歳年下の弟の3人で「男の旅」に出かけることになった。父は仕事での訪越などの経験からであろう、7月中は先の地の学校他は夏休み前であり、空いててのんびりできること、道を訊くとわざわざ先導してくれるほどの田舎の人情豊かさ、食べ物が安く旨いこと、なんたって「おもしれえんだよ」おすすめなのである。
自家用パブリカに七輪やテント、ヤカンと共に乗り込んだ。高速道路などやはり無いので国道をゆらゆらと行くのだが国境を越えて北国に入るとスノーシェッドや田んぼの中の鯉池、大雪備えの腰高住居、各所のスキー場、雁木造り商店街、融雪設備の夏期散水など、景色植栽物価気質などなど目新しく面白いものであった。
今は見ない、ある意味先進の日除け虫除け目だけ出しのハンコタンナ黒装束のご夫人達と記念撮影したり、見渡す限り数人しかいない海水浴場で泳いだり農家の軒先にテントを張らしてもらったり2個数百円の大きなスイカにかぶりついたり。浜焼きを食べたのも初めてだった。
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